生活困窮者自立支援全国研究交流大会 “地域で共に生きる!子ども若者・支援”

2016年11月14日 22時39分 | カテゴリー: 子育て, 教育, 活動報告, 生活困窮者支援・若者支援, 高齢者、障がい児・者福祉

1113_分科会3生活困窮者自立支援全国研究交流大会2日目は、分科会でした。
午前は、分科会3に参加。「地域で共に生きる!子ども若者・支援」ということで、神奈川県立福祉保健大学保健福祉学部教授 神保幸男さんをコーディネーターに4人のパネリストが登壇しました。

◆全国子どもの貧困・教育支援団体協議会 代表幹事 青砥恭さんからは、さいたま市の報告。横浜市でも全区で展開している学習支援ですが、さいたま市では、高校生の学習支援が既に始まっているそうです。さらに就労まで組み込むことで、支援の幅はぐっと広がります。
さいたま市若者自立支援ルームは、地域のボランティアが食堂や様々なプログラムを提供する1日30人を超える若者たちが利用する居場所です。持続的な活動には、地域の手が必須だと青砥さん。そして、いずれは制度へとその道筋も大切だとお話されました。

◆続いて、NPO法人豊島子どもWAKUWAKUネットワーク理事長 栗林知絵子さん
困窮状態にある子供達を支援することは、将来的に経済的損失を阻止することに繋がりますが、その支援は早ければ早い方が収益率は上がるとデータにも表れています。その「小さい子」の行動範囲はせいぜい中学校区。小さい時に充分な依存経験をすることが大切だけれども、それを親ができないなら、地域がやればいいと。
「学びが入る(小学校に上がる)前の『器』を地域で大切に育てる」という言葉が、とても沁みました。
「困った行動をする子は、実は困っている子。」と栗林さんは言います。子どもはきちんとサインを出していることに、私たちはきちんと気づけていただろうか?と改めて考えました。
栗林さんが始めた「子ども食堂」は全国300箇所に広がりました。
「場」ができた次には、「場」に子どもを繋ぐ行政側のアプローチも必要。「場」ができて、繋ぐ人ができる。小さな循環が地域に生まれることが、未来を変えることに繋がると今後の道筋を語っていました。

先述の青砥さんも指摘していましたが、「自分の街に貧困が見つからない。」という課題がよく聞かれます。私が暮らす青葉区などは、正に貧困の見えづらい地域です。行政側のアプローチと共に、地域の多様な資源がゆるやかにネットワークしていくことが、大切なのだと改めて感じました。

◆NPO法人パノラマ代表理事 石井正宏さんからは、青葉区ではお馴染みの田奈高校「ぴっかりカフェ」の紹介です。
「引きこもり支援は、雨漏りのする家で水をためるバケツを処理するようなものだ」と石井さんは言います。家が水浸しにならない支援ではあるが、限界がくる。ならば、穴を塞げばいい。つまりこれから困りそうな人へ予防支援をすればいい。という発想です。
予防支援の対象となる子どもへ、わし掴みでアウトリーチできるのが学校だったというのも非常にシンプルで説得力があります。それを教室ではなく、図書館という文化的の場で作り出したところが、生徒たちにも受け入れられる大きな要因だったと思います。(石井さんの人柄も!)
ぴっかりカフェの取り組みは、いつもワクワクさせてくれます。「高校と地域は繋がっていない。」と石井さんが言うのは、その通りですが、ぴっかりカフェのように地域のボランティアが入っていくことで、バスで見かける「困った子」は、いつしか本当はシャイな◯◯くんになって、地域に見守られるようになるんだと未来予想図が見えてきます。

◆川崎市ふれあい館職員  鈴木健さん。
「ふれあい館」は、川崎市の桜本というところにあります。桜本というと私は韓国料理を食べに行ったのを思い出しました。在日韓国朝鮮人が多く暮らす地区で、ヘイトスピーチのターゲットとなったことでも記憶に新しい場所です。「ふれあい館」は、日本人と在日外国人が、市民としてこどもからお年寄りまで、相互のふれあい交流をすすめるための場所として実に様々な活動をしています。キャッチフレーズは「だれもが力いっぱい生きるために」。
高齢者も、障害者も、外国にルーツをもつ子も、経済的な困窮状態にある子も全て繋がった社会の中で、つながった課題をもっているんだと鈴木さんは言います。だから、「僕は、この子(支援した子)に介護してもらうんです。」と言ったことがとても印象に残っています。一生付き合っていくという決意表明だと思い、そういう循環が生まれることへ、人の営みの美しさのようなものを感じました。(現実は「美しい」という状況にはないのでしょうけれど)

質疑応答では、学習支援に地域の手を入れて、食事の提供をするようになった。しかし、学習支援に通うことを知られたくない、という子が地域の目に晒されるという別の課題に当たってしまった。という事例が紹介されていました。
青砥さんは、生活困窮者自立支援制度は、カテゴライズされた支援ではなく、いろんな子どもを対象に、その一人一人に必要な支援を様々な視点で取り組んでいく。そういう支援を目指すものだと。
栗林さんは、食堂と学習支援の場所を変えるだけで違う。食堂では、困窮状態の子どもだけに絞るのではなく、困窮していない子どもを交ぜる。そうして差別なく子どもを大事にしていた地域が偏見のない社会を作るのだと答えていました。

本当は、「生活困窮者」という言葉も、「支援者」という言葉も使いたくはないのですが、いつの日か不要な言葉になるといいな。と。そのための一歩を歩んでいる人が確実にいることに感動を憶えた分科会でした。
私も、地域のゆるいネットワークの一員として果たすべきことを考え、そしてまた制度への道筋についても、一歩一歩進めてゆきます。