ネット青葉総会にて ー震災から5年を迎えてー

IMG_01573月27日、神奈川ネットワーク運動・青葉の定期総会並びに若林ともこ・青木マキ応援団総会を開催しました。
市議となって初めての総会、多くの仲間と共にこの1年を振り返る時間をいただきました。がむしゃらに必死に一年を過ごしましたが、次は、しっかりと根をはり、枝を伸ばす成長の一年にしたいです。
総会後は、伊藤まりさんをお迎えし、東日本大震災から5年を迎えた「今」を考える機会を持ちました。伊藤さんは、福島県浪江町から住まいを青葉区に移され、現在は、WE21ジャパン等で、精力的に活動をされている方です。
改めて5年前の日々や、前日にも除染を終えた浪江の住まいに足を運んだお話などをしてくださいました。
津波の第1波が押し寄せたあと、たくさんの助けを求める声が聞こえたが、夕闇せまり救出は翌日に持ち越された。しかしその翌朝、原発事故で避難指示が出た為に、救出が叶わず、その後捜索が行われたのはひと月も後・・・。
原発事故で、救えた命が救えなかったこと、改めて悔しく、悲しく、やるせない思いを持ちました。
浪江町も、来年4月には、避難指示が解除になりそうですが、アンケート調査では、
戻りたい17.8%  戻らない48%  判断つかない31.5%
しかも40代以下の回答は非常に少なかったとのこと。
町には、電車もバスも通っていない、獣が多く出没するような状況、非常に厳しい現状が見えます。
伊藤さんは、これからの5年が苦しくなるとおっしゃいます。
借り上げ住宅の手当てもなくなり、経済的な打撃もさらに大きくなり、
家族はバラバラになる世帯が非常に多いとのこと。
福島をチェルノブイリと比較することが多いけれど、突然全島強制移住を強いられたビキニのロンゲラップ島に近いというお話もありました。
私たちは、福島の人たちに全ての苦悩を押し付けてはいないでしょうか?
震災からもう5年、まだ5年。私たちは、ちゃんと被災地の現状を見て、共に同じ国の課題として考えてきたのかと、強い罪悪感を感じました。
伊藤さんは、被災者に寄り添ってほしいとおっしゃいました。「寄り添う」とは?どうした時に寄り添えたと言えるのか?
私たちが5年経ってすべきこと。もう一度考えてみたいと思います。

伊藤まりさん、スライドを交えてお話をしてくださいました

伊藤まりさん、スライドを交えてお話をしてくださいました


それから震災から5年、改めて災害への備えについてもご提言頂きました。
◼︎避難所で困ったことは、
・トイレ/衛生管理
・寒さ対策
・情報
・プライバシー
・空腹
・弱者
・ペット
◼︎自分は大丈夫か?
・非常ベルがなったらすぐに行動できるか?
・津波や火がせまったら冷静でいられるか?
・家族が3日間生き延びる準備は万端か?
・家族との連絡ツールは?
・どんな情報を信じるか?誰についていくか
・20km圏内にどんな施設があるか→避難場所、危険物施設
・生きることをあきらめないか?
この機会に今一度見直し、家族で考える時間をもちたいと思います。