表現の自由と報道の萎縮 ー藤田早苗さん報告会からー

1607047月4日アートフォーラムあざみ野で行われた
「国際社会も危ぶむ日本の表現の自由と報道の萎縮」~藤田早苗さんの報告会~
(くらしと憲法をつなぐ会・憲九会主催)に参加しました。
藤田早苗さんは、イギリス エセックス大学 人権センターフェロー。国際人権法の専門家として秘密保護法や日本政府の発言に対し警笛を鳴らしてきた方です。
藤田さんが在住するイギリスといえば、EU離脱の国民投票で、世界中を揺るがしたことは記憶に新しいところ。結果は僅差でEU離脱となったわけですが、藤田さんによると、18~24歳と若い年齢層においては、74%がEU残留を望んでいたという結果だったとのこと。彼らにとってEUの離脱は、他の27カ国で学び暮らし働く権利を失う。という受け入れ難い現実なのだと言われれば納得もできますが、それはつまり、国民投票なのに、未来を担う人の声が反映されなかったことになります。また、結果が出た後に様々な嘘や誘導が判明したことは、日本の報道でも知られているところです。情報が溢れていても情報に煽られる人々が多くいるということに、驚きと恐ろしさを感じます。国民投票の怖さというものも露呈した結果となった訳ですが、私たちにとって国民投票といえば、「改憲」。改憲の議論が本格化し、国民投票となった際に、このイギリスのようなことが起きないとは限らない。民主主義が正確に機能しない恐れもあるのだと気付かされました。
さて、今回の命題である「表現の自由」は、日本国憲法 21条にあります。
1、集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、保障する(現行憲法)
これに自民党の改憲案では、
2、前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない。
と追加をされており、表現の自由が曖昧になっているのがわかります。
自民党改憲案には、既に多くの指摘がなされているところですが、藤田さんからは、36条の拷問及び残虐な刑の禁止の条文「拷問及び残虐な刑罰は『絶対に』これを禁ずる」から『絶対に』がはずされていること、97条の「基本的人権」が削除されていること。「緊急事態条項」の危険性など、国際人権法上の観点から問題提起をされました。
今年4月、一度は日本政府がドタキャンをしたことでも大きな話題となりましたが、藤田さんの働きかけもあって、国連特別報告者デビット・ケイ氏が来日しました。
ケイ氏の表現の自由に関する調査後の中間報告でも自民党改憲案の問題点は指摘をされています。他に高市総務大臣の「電波停止」発言や、日本独自(恥ずかしながら知らなかった!)の「記者クラブ」を解体すべき。といった報告がされました。
今や報道の自由度ランキング(国境なき記者団)で、日本は堂々の72位!報道の萎縮は、先の選挙報道などでも強く感じるところです。
そもそも、メディアのあり方について、日本では「中立性」ばかりを尊重しますが、本来はその「独立性」こそが尊重されるべきだ。と藤田さん。ジャーナリストの立ち位置が日本はちょっとズレていることに、課題があることにも気付かされました。
最後に印象的だった言葉をふたつ。
1946年、国連総会の決議
「情報の自由は、基本的な人権であって、国連が関与するすべての自由の試金石である。」
国連フランク・ラ・ルー氏の日本へのメッセージ
「公の情報は公共財だと認識すべき。」
国際的に視野を広げると、私たちは、公共財を手放す手前におり、日本の「自由」は今まさに試されている。のだということを、藤田さんの導きで痛感させられました。
この公共財をいかにして守ってゆくのか。は、これからの政治に委ねられているわけで、それは即ち私たちの行動次第とも言えます。情報に煽られることなく、ブレずに前を向いていきたいと思います。