ジャーナリストが見た“福島原発の今“
スペースナナの3.11カフェ『ジャーナリストが見た“福島原発の今“』
東京新聞の片山夏子さんの講演を聞きました。
東京新聞で連載された「ふくしま原発作業員日誌」は、『ふくしま原発作業員日誌〜イチエフの真実9年間の記録』として出版され、講談社ノンフィクション賞をはじめ3つの賞を獲得しています。
福島原発事故から10年。
まるで過去の事故ように、こうすべきだった、こうあるべきだ。と遠くから眺めている(私を含め)たくさんの人たち。しかし、暮らしている人、作業をあたる人の側からみた原発は、今も放射性物質を出し続ける進行形の問題です。一日4000人の人が廃炉に向けた作業に携わり、文字通り身を削りながら、線量が溜まれば仕事を失うというジレンマにも晒されているなんてことは、全く見えていませんでした。
技術が進歩して、遠隔操作だロボット作業だ。と言っても、その準備をするのは、故障を直すのは、全て生身の人間。高線量な場所で時間と戦いながら働く人がいることに、(それに思い至らなかったことにも)ショックを受けました。
原発作業員日誌で取材された記事の裏側もトークの中で伺うことができました。
避難所から原発に向かう時に、たくさんの人が「よろしく頼む」と頭を下げて見送ってくれた。
まるで、戦場に行くようだった。
と、事故当時を振り返る当時20代の作業員。
でも、英雄扱いは一瞬だった。
いまや使い捨ての線量役者。
おれも被災者だったんだよ…と。
高校生になった子どもが跡を継ぐと言ってくれた。
という作業員の話もありました。
嬉しいと思う反面、負の遺産が継がれてゆく、私たちの代では決して解決できず、若い人、子ども達、さらにその先まで続いてゆくことを思わざるを得ません。
廃炉作業は、放射能の影響なくしては進まない。でも、それをあまりに語らない風潮が、将来の作業員の健康や補償に与える影響が不安です。
そして、汚染水の海洋放出は、今タンクに入っているものだけでも30年かかります。総量規制が無いため、日々増えてゆく汚染水を放出し続け、上限はありません。
片山さんが、ドイツからの取材を受けた際に、投げかけられた問い
「ドイツでは、福島原発事故を受けて、脱原発に舵を切りました。
日本は事故から何を学びましたか?」
この質問に「ごめんなさい。何もないと思います」と答えるしかかなかったと片山さん。
私も、何も浮かばないことに、眩暈がしました。
それでも、前へと進むチカラは、政治が作らなければならないと思っています。
政治が希望であるように。