日本になぜある?朝鮮学校 ーー「共に生きる」学習会

1月30日、ビビンバネット(=神奈川の朝鮮学校と多文化共生を考えるネットワーク)主催のかながわ「共に生きる」学習会『日本になぜある?朝鮮学校』に参加しました。

朝鮮半島をルーツとする子どもたちが、自身のルーツである言葉や文化を学び、アイデンティティーを育む場である朝鮮学校は、神奈川県内に現在5校あります。しかし、これまでヘイトスピーチの被害にさらされ、いまだに偏見の対象とされる事が多く、さらには公的な補助金は打ち切られたまま。高校無償化、幼児教育保育無償化といった制度からも除外をされ困難な状況に置かれています。

学習会では、明治学院大学 鄭栄桓教授から、改めて歴史を紐解いていただき、理解を深める機会となりました。会場は、椅子が足りなくなるほどで、多くの人が関心を寄せる中、先生は、「共に生きる人として、共有したい」と冒頭現在の朝鮮学校の置かれた状況についてお話されました。

朝鮮学校の歴史は、朝鮮の植民地時代に遡ります。
在日朝鮮人の数は、最大200万人近くまで増加、戦後は60万人前後で推移しています。1980年代まで、在日外国人の80%以上は朝鮮人であり、長い間外国人政策はイコール朝鮮人政策であったと言っても過言ではありません。これだけたくさんの人が日本にいながら、その学びの場の歴史は、弾圧の歴史だったと言えます。

先生の資料には、私たちの近隣の地では「長津田(恩田)」という地名がありました

戦後の在日朝鮮人は、朝鮮半島に戻ろうにも、朝鮮戦争と南北の分断など情勢に翻弄される姿が見られます。帰りたいけど、帰れなかった。また、帰らない選択をした人によって、日本の地で必要に応じて生まれた学校は、1948年当時神奈川に22校あったそうです。

歴史の証人であるカン・ドンフンさんのエピソードが印象的でした。
日本の学校では、学ぼうにも、差別がひどく通えなかった。朝鮮学校が出来ても最初のうちは、子ども達は、喧嘩ばかりして、勉強をしなかった。と。それは、どの子もそれまで受けてきた差別的扱いから、人に対する不信感が拭えず、心を許しあう事ができなかったのだ。と・・・。朝鮮学校は、そうした自尊心の回復の場でもあった。のだというお話は、非常に重く、日本人である私たちがしっかりと受け止めなければならない事です。

戦後2度も大きな弾圧に合いながら、それを乗り越えて歴史をつないできた朝鮮学校。
日本の政治情勢と密接に絡み合いながら、今もまだ困難の中にあります。一方で朝鮮半島の分断以前に生まれた朝鮮学校の存在は、南北統一の動きにとっては、象徴的な存在にも見えます。いかなる時も希望を捨てずに粘り強く「共に生きる」ことに前向きに取り組む姿には、こちらが励まされます。

今月は、南武朝鮮学校の訪問ツアー、神奈川朝鮮中高級学校で、交流ツアーも企画されています。
積極的に開かれた学校をぜひ訪れてみてはいかがでしょうか。