いじめ問題に思う
私は、いじめられっこで、小学校の1年生から、学校は何らかのわだかまりを抱えた場所でした。
「いじめ」は、遠い記憶でも灰色です。
中学校までの9年間、ターゲットが誰であれ、クラスにいじめがなかった年は、ほとんどありませんでした。きっと、どこの学校でもそんな感じだったのではないでしょうか?
子供の頃を思い返せば、「いじめ」は「ある」ものだったし、いつも解決しなければならない目の前の問題でした。それが、今、教育委員会と対峙していると「いじめ」が非常に特殊なことのように扱われていると感じます。この数十年で「いじめ」はそんなに急速に減ったのでしょうか?
2015年度横浜市のいじめ認知件数は1852件、前年度比595件減。
確かに減っています。
一方不登校児童生徒数は5084人、暴力行為は3906件です。
何だかバランスが悪いように思えます。
不登校児童生徒は、いじめ件数のおよそ2.7倍。前年度比411人増。もちろん不登校の理由はいじめだけではありませんが・・・腑に落ちない。
20日の常任委員会での『おごりおごられ行為は「いじめ」と認定できない』という岡田教育長の言葉を聞くと、やはりこの数字も、そういった観点で集計された数字なのでしょう。きちんと現状把握したものとは思えなくなります。(横浜市教育委員会資料「暴力行為」・「いじめ」・「長期欠席」の状況調査結果)
「いじめ」とは、「児童・生徒に対して、当該児童生徒が在籍する学校に在籍している等当該児童・生徒と一定の人的関係のある他の児童・生徒が行う心理的又は物理的な影響を与える行為(インターネットを通じて行われるものも含む。)であって、当該行為の対象となった児童・生徒が心身の苦痛を感じているもの。」とします。と文部科学省によって定義されています。
定義に沿えば、件の福島県から自主避難した生徒が受けた行為は、やっぱり「いじめ」に相違ないのです。
迷走を続ける教育委員会。
23日行われた教育委員会議では、いじめの問題は議題にも挙がりませんでした。
子ども達にとって「いじめ」はともすれば「いのち」に関わる問題です。
子どもの社会では「いじめ」は残念ながら起きてしまう。そのケアは、学校行事よりも勉強よりも重要だと思います。「教育」=「勉強」ではなく、辞書を引けば「教育=他人に対して意図的な働きかけを行うことによって、その人を望ましい方向へ変化させること。広義には、人間形成に作用するすべての精神的影響をいう」(大辞林)とあります。教育現場が求められていることは、ただ「いじめ」の認知件数を減らすことではなく、そのケアと状況改善です。横浜市教育委員会は、教育の本質に立ち返って、今こそそのあり方を見直す時であると考えます。
どうか、今苦しんでいる子ども達が、一日も早く心から笑えるように。
大人がその努力をやめない。その姿勢をしっかり見せなければと思います。