ジェンダーと権力について考える ー気ままログ4
先日といってもちょっと前になりましたが、女性議員についての調査をされている立教大学の大学院生神崎真珠花さんから、女性議員が増えない現状についての取材を受けました。
神奈川県議会では、定数105人に対し、女性議員は19人で18%。ジェンダーギャップが叫ばれても、女性議員の増加につながらないのは、議会の中の問題だけではなく、選挙制度や社会全体の課題が影響していることは言うまでもありません。
「セクハラを受けたことはありますか?」と聞かれました。受けた事がない訳ではないけれど、その質問で考えたのは、「権力」のあり方でした。「権力」とは、その物理的強制力という意味では「暴力」と近いものであり、これまでの権力者(議員)と、そこに携わってこなかった女性を含む生活者のそれとが馴染まないのではないか。と常々感じています。
私たち神奈川ネットは、議員は「道具」だと考えています。権力を使う道具。その使い方は本来選挙で問われるものですが、多くの市民が現状のあり方を違和感を持ちながらも許容してきた。そのことに深い課題があるのではないかと思います。
子育てや介護の分野では、それを仕事とする担い手の不足が最も深刻な課題ですが、その根底には、子育てや介護をこれまで女性がアンペイドワークとして行ってきた、その仕事への評価の低さがあります。当事者がその政策立案の場に不在だったことを含めたジェンダーの課題であることはもちろん、それに気づくことすらできない構造が政治の分野に確立されてしまっているのではないか。と思うのです。LGBT法案をめぐるドタバタも、当事者不在の「何のために」が欠落した議論の末であり、その課題の外にいる権力者が認識できる範囲内で物事が決定されてしまっている。これでは本来の意義は失われてしまいます。
権力を振り翳して力づくで変えていく「政治」から、おおぜいの人が、参加と自治の力で取り組んでいく「政治」へ。変革をめざし、日々活動を続けます。